翳る盛夏

灼熱の猛暑がいつまでつづくのやら。
こないだまで疎ましくすら思っていたのに、
最近は、夜に街をバイクで走るともう外気が涼しくて
気付かないうち、次の季節を迎える準備をしていることに
少しだけ置いていかれる感が募るのは
何度この季節を繰り返しても同じ。


眩いくらいにコントラスト最大の世界、
自分も、この季節に寄り添えてたような
そんな気がしてしまうからなのかな。


そういう晩夏の差し掛かりは、
目覚めてまた窓の外、まだそこに在る夏の暑さに
今度はちょっとだけ安心したりするのね。


過ぎてく季節には逆らえないから
ここで出会えた人、一緒に笑えた人の顔
ちゃんとおぼえてたいなっておもう。


精彩を欠いて、放つ生彩


焦点は、ちょっと合わないくらいがちょうどいい
色も温度も感情も、滲んで溶け出しそうなその際。



時折聞かれるのですが、
写真は大体携帯を使っています。

散々iPhoneやらの誘惑をふりはらいつつ
ソニー・エリクソンの古い型、えーゆー(笑)
色合いがちょっとトイカメラみたいで素敵なんです。

行程

名古屋に帰ってきました。


先日おじいちゃんが死んでしまって、
新潟には急遽帰る形になったのだけれど


松本を経由して、東京でうたって、きのう名古屋に帰ってきて
という、なんだか旅人にでもなったような心持ちでした。



身内の不幸というのも、あってのことだと思うのだけど
この身体と魂の存在と不在、ざらりとした輪郭で触れる。


心臓の鼓動は、いつだって僕を肯定し続ける。
だけど遥かそれ以上に注がれる感情の波、
意識の線に貫かれて、僕は呼吸を続けられてる。
この音楽を通じて、出会える人が笑ってくれたり、
満たされてくれたら、それがやっぱり
一番生きてるって感じられることだから。


この数日間の外出で、確かめたつながりと、
新しい出会いもあったりして
いま、またいろいろ考えています。


幸い、いまも僕には歌える場所があって
こんな僕に歌い続けてほしいって、
そう言ってくれる人がいることを、
この上ない幸せと噛み締めて暮らしたい。

還るところ。


いつのまにこんな眩い季節になっていたのだろうね。



生活していて形作られる人たちの輪、
学校でも仕事でもいい、その自動的に作られる括り
安堵していると、本当に必要な場所を見失いそうになる。


応じるよりも、求めることがきっと必要。