年の瀬

年末に小旅行。直島に行っておりました。
名古屋に着いたのが31日の朝。
起きて、まったり部屋の掃除などしつつ、
もう年の瀬を迎えようとしてます。どっか飲みに行きたいとこです。


しかし、今のうちにもう一度ご挨拶。
今年一年本当にお世話になりました!!
つながりを大切に、来年も生きていきたいと思います。
どうぞよろしくおねがいします!!



以下、旅行記


雨が降ったり雪が降ったりと滅茶苦茶な気候の中でしたが、
直島、高松、琴平、岡山とぐるり回った2泊4日、
吸い込んだ空気が、体中を巡って一周する、
そんな小旅行でした。


直島は、芸術の島。
でも、あくまで島の生活が基盤になっていて、
その上に芸術が根付こうとしている。
その結びつきには、多少異物感を感じた部分はありつつも、
こういう試みが島全体として成功している、
それはやはり奇跡的なことだと思う。




初日は宮浦港周辺と、地中美術館周辺をぐるりと散策。


宮浦ではうどんがめちゃくちゃうまかったので感動。
集落の生活が垣間見える町並みは、味わい深いものがありました。


地中美術館やベネッセ関連施設は、どちらかというと、
自然や気候といった地理的な観点から捕らえていて、
あくまでストイックに、極限まで研ぎ澄ませた美術作品という印象。
安藤忠雄建築の作り出す硬質な空間がそれを全部包み込んでる。
クロード・モネの深い青。
冬の雨に悴む足で苦行の中、必死に見上げたタレルの部屋。
七色にその姿を変える空は、今も目を閉じると浮かんでくる。


この地域はやはり、洗練されてる分、
敷居も高いという印象。値段がそれを物語っております。
年の瀬の夜、唯一営業してた焼肉屋でも、
お店のひとと話していて
そんな意識が垣間見えた気がしました。
一方、翌日訪れた本村地区の家プロジェクトは、
島の生活や文化、風土を基礎にした芸術の形。
越後妻有アートトリエンナーレと同質のものを感じた。


妻有では自分が新潟生まれということで、
文化的な共通認識みたいなものがあって、
共感覚的な懐かしさを感じてたのだけれど、
ここは自分にとって、縁もゆかりもない場所。


だから、どことなく客観的な立場で観ていた気がする。
特に離島に暮らすということはどういうことなのか、とか、
いろんなことを考えさせられた。
特に「きんざ」での15分の静寂は、
島と自分とを結びつける儀式、だった気がする。


一番好きだったのは、「角屋」という作品。
もともと時間を意識させる作品が好きみたいで、
水の流れと数字の流れの中に身を委ねると
溶け込んでしまいそうな感覚に陥る。


どことなくノスタルジックな気分になって
ねこと戯れ、ひとに触れ、
時間切れになって、フェリーにて直島を発つ。



高松は、大学時代の後輩も居るしってことで
急遽立ち寄りを決めたんだけど、行ってみてよかったー。
新しく芽吹いた文化と、古くから根付いている文化が
互いに融合しようとしてる、そんな強さを感じさせる街でした。
名古屋で言うと大須みたいな感じかなー。


最終日はことでんに乗って金刀比羅温泉に立ち寄る。
地獄の石段を登っての参拝は、なぜか大雪に見舞われる。
こなーゆきー!!というかあられでした。
なんか温泉がどうでもよくなってきたので、
執拗にうどんを食らう。ちなみに2日で5食。
一時間しか営業しない幻の製麺所など、
うどんには未練が残ることが多かったが、
硬く再訪を誓うのであった。


帰りの電車は爆睡して、たどり着いた岡山。
バス待ちで居酒屋へ。「いざ酔いの月」
焼酎をなみなみとグラスに注ぐ心意気に感無量。
多分10年ぶりくらいに食べた赤ナマコが
めちゃくちゃ旨くて、しみじみする。


というか毎晩飲んでました。


深夜バスは予定時刻に発車。
無事、名古屋について、程なく再度眠りにつきました
とさ。