ルーツミュージック。

こないだ大事マンブラザーズバンドについて大人気もなく熱く語ってしまいましたね。
書いた後、あれが僕のルーツの主脈だと思ってしまう方がいるのでは、
というくらいの熱さだったので、ちょっと反省も込めて、改めて系譜を探ってみました。


小学5年生のころ、ラジオに目覚めると共に初めてJ-POPなるものを聞き始める。
その頃、ちまたではビーズ派とチャゲアス派に分かれていたが僕はチャゲアス派に傾倒。思えば絵に描いたような二大勢力図で、あれは当時のJPOPシーンを物語っていたと思う。
チャゲアス派の僕は、深夜一時からFMで黒メガネの方のラジオがあって
毎週あれを聴くために早めに寝て一時前に起きて聴いてたのはほろ苦くもある想い出で。
大半布団の中で聴いてたので途中で再び眠りに落ちて、
で、翌日学校行って、昨日聴いた? とかそんな会話があって。
なんだか微笑ましくもあり、懐かしい。
時期にするとGUYSというアルバムがリリースされたころで、今思い返してもこの時期の曲が一番好きだった。
のどの奥と頭の芯で眠気を残したままで聴いた深夜ラジオの所為かも知らないけれど
なんというか、とても深みを持って聞こえる。


そこから件の大事マン某とかを交えつつ、中学時代はJPOPとかヒットチャートとか
そんな音楽を聴き続けて、後半でイエローモンキーを聴かされてはまる。
ちなみにギターを初めて手にしたのもこのころで、文化祭で奥田民生を弾き語ったりと
だんだんと音楽活動の下地を築いていった(かどうかは知らないけど)。
ちなみに初めて弾いたギターの曲はコード本の付録でついてた
長渕の「乾杯」とWANDS「世界中の誰よりもきっと」、とこれはまたこれでほろ苦い。


高校に入って、イエローモンキーのコピーバンドを始め、ライブハウスデビュー。
チャ髪坊主で3ツボタンスーツというあり得ないスタイルだったことは秘密だ。
パンク、オルタナ、ハードコアとそんなバンド仲間ばっかりだったけど
この時期は、音楽で表現することに触れたひとつの分水嶺
この頃、偶然試聴したレディオヘッドで音楽性が急変し、一気に広がり始める。
BJC、フィッシュマンズBECKとか。
ついでに早速レディオヘッドコピーバンドになっていた。
大学に入ってから、サークルでくるりにであって、コピーバンドを始める。
後に、オリジナルを初めて作ったバンドthepondsを通して、
ネオンホールと出会い、邦洋インディーの世界へ傾倒し始め、
砂場にたどり着くとコピーをしなくなりました。


オリジナル曲という表現手段にたどり着くまでの自分は、
音楽に影響を受けるとそのバンドのコピーバンドになる、という図式が成り立つのだけど、
なんかわかるようなわからないような。


コピーバンドって、何も出来ないけれど何かやりたいっていうもどかしさが出ていると思う。
でも、コピーで怖いのは、やってる間、そこで満足してしまうこと。
他人の曲を演じるという活動であるということを忘れてしまったり。
ともかくずっと昔のこととはいえ、コピーでお金を取るってのは
やっぱり今考えても申し訳ないことをしていたなあと思います。

ところで何が書きたかったのかなあ。途中でわかんなくなりましたね。
またあとで編集するかも。。