歌うとは紡ぐということ

キセルを真夜中に聴いています。
鮮明に絵物語を描いて、体にザラリと触れる音楽。
ろうそくに火を灯すみたいな、暗がりに光る音。
優しくて、心地が良いのです。
他方面の芸術分野でも、インスパイアされるとかそういう声があるみたいですが
なるほどな、と思う。
音楽を聴いて、風景が思い浮かぶ。それは僕の好きな音楽だと思う。
そこを包む優しさとか、温度とかそういうのを感じられるから。
近年、エモーショナルロックとかの風潮もありますけれど、僕はちょっと敬遠気味。
そろそろ数も出過ぎてて、なかなか差異化が難しいみたい。
試聴はしてみるけど、トラック1、2と繰ってヘッドフォンを戻すことが多いです。



声の魅力ってのはどうしても天性のもので。
その換えられない絶対的な声にもツボにはまるものというのがあります。
今日、トップランナーハナレグミを観ました。再放送だろうか。
バンドから転向をしたところで途端に歌詞がパーソナルになったのは
やっぱり表現したいものが変わったからだったらしい。
スーパーバタードッグ時代のサヨナラCOLORって名曲はその過渡期に出来たものだったみたいで。
自分の書いた詩で、泣く。それだけの想いを込められるって凄いことだと思うのです。
ハナレグミは何気ない日常を歌にしている。木漏れ日とか優しい日差しが目の奥に映りそうな音。
この人の声、優しく芯まで響く。


歌うイメージ。歌声は喉の奥で紡いだ糸になる。
どこまでも延びて伝わって、空間を満たす。聴く人の体に絡みつく。


歌ってる自分を後で思い起こしてみると、
どうしてあんなに声が出るのか不思議です。空になってしまうんではないかっていつも思う。
(実際空になることもありましたけど)
とにかくそんな自分自身でも唄のイメージというのは
織り糸のようなそんなものが空間を満たせと伸びているみたいだなと思うのです。

一人一人に与えられた声は、色、温度、湿度、その他色々その人唯一に帰属する。
声、大切にしたいですね。